
2025年5月24日
Imakuma salonは18年間の歴史に その幕を閉じた。
テナント引渡しの都合上、それは 奇しくも 創業記念日だった。
僕 岩本は18年前のImakuma salon立ち上げメンバーの一人として
この壮大な物語を 最後に記す責務がある。
これは、僕らの会社の かけがえのない歴史の断片であり
今熊浩児 という一人の美容師の 挑戦の歴史なのだ。
08' 北青山の小さなアトリエサロンからスタートしたImakuma salon。
今熊さんを筆頭に 青木さん そして 僕の3人で意気揚々と乗り込んだ 花の都 東京。
ところがだ。
初めからうまくはいかなかった。
一日中 予約が入らない日もたくさんあった。
「どうすればお客様が来るのか?」
話合いを何度も何度も何度も 重ねて、試して、改善して。
その頃20代だった僕は正直
今熊さんの腕があれば雑誌やテレビに一発広告を打てば早いのに
と 考えていた。
ところが、それらを頑なにやろうとしない。
オープンして半年が過ぎた頃、
次第にお客様が増えていった。
これはきっと 今熊さん率いる僕らが少しずつ改善を重ね
“ 何か ” が ようやく東京にハマり始めた頃だったのかもしれない。
気づけば あの小さなアトリエサロンでは
対応できないほど たくさんのお客様からご支持をいただけるようになった。
2013年、北青山から南青山へと移転拡張。
今熊さん、坂本さん、を筆頭に数々のスタッフが東京で闘った。
そう、夢の街 東京で。
美容師として、東京・青山という場所は
とても特別な意味合いのある場所なのだ。
それはきっと美容師だけでなく
ファッションに携わる者が 一度は夢見る憧れの舞台
とも言えるかもしれない。
今になって あの頃のImakuma salon
そして、今熊さんのことをよく考える。
なぜ、あの頃 今熊さんは 頑ななまでに 広告に頼らず
口コミ・ご紹介だけでの発展にこだわっていたのか?
それはきっと、人生を懸けて情熱を注ぎ続けてきた自分の技術を信じていたかったからだと思う。
それはきっと、そうして創られた〝 美しいモノ〝 に宿る神聖なチカラを信じていたかったから だと
今になって そう思う。
アンチコマーシャリズムを突き通し
自分の腕だけで夢を叶えてきた一人の美容師のこの物語は
挑戦の連続だった。
この叙事詩とも言える壮大な物語
葛藤と苦悩に満ちた時間
歓喜に包まれた夜
それらの 記録や記憶も
もしかすると いつの日か 形骸化されて忘れられてしまうかもしれないけれど
だけど、いつまでも僕が
我が社のみんなが 覚えていれば
それでいいのだ。
もうすぐ僕もあの頃
東京へと挑戦した今熊さんの年になろうとしている。
人生を懸けて自分が信じるものは、
何なのか。
人生を懸けて自分が成し遂げたいことは、
何なのか。
いつの日か歩んできた道を振り返った時に、
「よくやった。」と自分を褒めてあげられるものにしたい。
そう。 師のように。
それにしても、大手出版社とのタイアップ案件辞退や、
移転拡張先は 北青山から南青山ではなく
実は 恵比寿ガーデンプレイスの横に ほぼ確定していたことや、
ある日、総理大臣から今熊さん宛で
ありがたいお手紙が届いていたり など
ここだけのおもしろい話が 山のようにあるのですが、
この話は、またいずれ 別の機会に。
18年間、Imakuma salonをご愛顧いただき本当にありがとうございました。
また皆様にお会いできる日を心から楽しみに、僕らも福岡で頑張ります。
Imakuma salon 岩本康平

ラストパーティーには、お店に入りきらないほどのたくさんの方にお越しいただきました。