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記念すべき 第一回 岩本康平の ~ イワモトサロン ~
特大ニコニコ~! でっす!
毎週 金曜、岩本康平の心に突き刺さった モノ、コト、ヒト、ウタ などなどをお届けするジャングルジム的実験サロン。
時に美容師として、時に一人の男として、想いを紡ぐ プレイグラウンドとなっております~。
記念すべき第一回は、映画評論らしいと噂されておりましたが、あえて期待を裏切るカタチの内容をっ!
『 なぜ、僕は 美容師になったのか? 』
今回は、そんな内容のお話しをしたいと思います!
あれは、たしか44年の6月 ドーバー海峡。
激しい暴風雨に見舞われ、作戦期日の1日延期が決定した夜のことでした。
びしょ濡れで宿舎に戻った僕は、湿ったブーツの靴紐を解きながらため息をついていた。
「 おい、兄弟。あしたの作戦は延期らしいぜ。」
ちらちらと揺れるランタンの 灯りに照らされジェームズが ウィスキーを片手に
す、す、す、す、 すいませ~~ん !
つい、 気持ちが高ぶって ノルマンディー上陸作戦の話~。
戦争映画の観過ぎです~~~。
さて、もとい 『 なぜ、僕は 美容師になったのか? 』
83年 福岡県 太宰府市にて僕は、美容師である両親の元にこの命を授かりました。
兄弟は4人。お世辞にも、裕福な家とは言えない幼少期でしたが、
物心をついた頃の記憶から、父と母は いつも髪の話 ファッションの話をしていたものです。
忘れもしない 中学1年 冬休みのとある朝。
仕事へ向かう準備をしている父を ぼんやりと こたつに寝っころがって眺めていた僕は、
素朴な質問をします。
「 ねえ、仕事って たのしいと ? 」
父は Paul Smithのシャツのボタンを閉めながら、別のことを考えているのか、片手間な感じで こう答えたのでした。
「 パパにとって仕事は楽しいね~。仕事を好かん人は多いと思うけど、パパの仕事は楽しいよ~。」
僕は聞き流す感じで 「 ふーん。」 と あいずちを打っておいたのですが
内心では、
「 ぬぬぬぬっーーーーー!! 美容師、カッケーーーーーーーーっ!!!!! 」
脳天に稲妻が落ちたような感覚でした。
ですが、その後 漫画家の弟子になるために絵を描きまくったり、ジャニーズJrに入団しようと決意したりと、
紆余曲折なYOUTHFUL DAYS。
最終的には、大学へ行く自分が想像できず、なんとなく美容専門学校へ進学することに。
でも、心の奥の 奥のほうにはいつも、
「 パパの仕事は楽しいよ~。」
があったように思います。
専門卒業後は、東京青山のとあるサロンへ就職し、1年が過ぎた頃、父が重たい病気を患い 実家の美容室へと転職。
余命6ヶ月と宣告されたのですが、驚異のド根性をみせた父は
権威ある医師の学会で稀に見る症例として発表されるほどに復活し 現場でバリバリと仕事をし始めたのでした!
実家の美容室で終わりたくなかった僕は、もう一度しっかりと修行したくて
福岡でも激戦地区である天神の美容室を探し歩きます。
3ヶ月で 何件見に行ったか わからないぐらいサロンを見て回りました。
その中でも、一番 空気が張り詰めてて、緊張感がバシバシ伝わってきたのが 今熊さんのサロンでした。
ぜひ、お話だけでも!とお願いしたところ、今熊さん快諾。
近くのお洒落なオープンカフェで2時間の質問攻めをさせていただいたのでした。
その時に起こったのが、 今でも語り継がれる 伝説、
「 ミルク ストロベリーパフェ事件 」
それはまたの機会にお話しします~~お恥ずかしい限りでございます。。。笑
とにもかくにも、僕が美容師になった理由は、
ー 親父が楽しそうだった から。 ー
ということでございます!
鋏を操れるまでに、辛いことや、苦しいこともあるし、これまで
700億回ぐらい なにが楽しいだ辞めてやらあっ! っと思ってきましたが、
もし 今 亡き父に「 美容師はたのしいか? 」と 問われたなら、
僕の答えは、
「 思っとったより ぜんぜん大変やないかっ 笑!! でも、僕なりに楽しさ見つけてやりよるばい!
あんた超えるけん、これからも よう見ときい。」
といったところでしょうか!!!
ー P.S ー
ちょうどつい先日にも 今熊さんから 不意にこんなことを言われました。
「 おまえ、なんのために仕事しようとや? 」
あっ、いやっ、その(滝汗)哲学的に考えていた その刹那、
「 楽しいけん 仕事しよるっちゃろうが !!仕事って楽しいっぜ!!ガッハッハッハーーー!! 」
というやり取りがありました。
僕の中で、アドレナリンが分泌しました。
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