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金曜 岩本康平の ~ イワモトサロン ~ でっす!
毎週 金曜、岩本康平の心に突き刺さった モノ、コト、ヒト、ウタ などなどをお届けするジャングルジム的実験サロン。
時に美容師として、時に一人の男として、想いを紡ぐ プレイグラウンドとなっております。
さて、
先日、ある女性シンガーソングライターの楽曲を聴いていて 不思議だなぁ と思っていました。
というのもこの楽曲、 歌詞では 一人称が “ わたし ” ではなく “ぼく ” とあり、主人公が男性の歌 と思いきや、要所々々に女性的な言い回しや女性的な語尾が見受けられるのです。
この楽曲に限らず、女性シンガーの歌で、一人称 “ ぼく ” の歌はたくさんありますが、時にこの “ 一人称 ぼくの歌 ” には、一貫性がないことが多々あります。
僕はこの現象を かなり前から気づいていて、例えばELTであったり浜崎あゆみさんであったり、けっこう多いのですが その都度 僕は不思議な違和感を感じていました。
しかし、この “ ぼく ” の使用には、それにしか表現を許さないものがあるのだろう と思うのです。
少年のような、勇敢さ、純粋さ、真っ直ぐさ、そして、危うさ、
こういったものを “ ぼく ” として示しているのでしょう。
一人称 “ わたし ” ですと、どうしても女の人の歌になりますし、また、カラオケなどで男性も気軽に歌えなくなる といった商業的弊害も起こるはずですし。
とは言っても、女性シンガーの “ 一人称ぼくの歌 “って、なかなかいいんですよね。
女の人の想いや決意って、もしそれを具現化できたなら、少年の姿に近いのかもしれません。
そこで、思い出していたんです。
僕は自分のことを “ 俺 ” と言い始めた日を昨日のことのように覚えています。
小学4年生の時ですから もう25年も前,
朝の校庭の へちま花壇の脇を同級生と歩いている時に、ふと「 さっきからぼくは自分のことを “ 俺 ” と呼んでいる 」と気づいたのでした。
昨日までは “ ぼく” と言っていたのに、今朝は “ 俺 ”の方がしっくりくるあの感覚。
自分が強くなったような、どこからか自信が溢れ出るような、活力が漲るような感覚でありました。
「今日から俺は、“ 俺 ” と呼ぶことにする!」
太陽を浴びて へちまに葉影が蒸しているのを見ながら、そう決意したのであります。
あの感覚は世界中の男子が暗黙の中で共有する感覚なのでしょうか。
未確認ですが。
そうこうして、学校が終わって家に帰ると 自分のことを 俺と言い出した息子に気づいた母は「 あんたもついに 俺 やら言い出すようになったとね」と 感激半分、寂しさ半分の表情で、ぼくの肩を抱き寄せました。
ある日を境に、男子が俺と言い出すというのは、おそらく体内のホルモン関係のスイッチが パチッ と切り替わって
体も心も 少年期から青年期へと移行していく神々しい数年間の始まりなのではないのか と考えます。
その日、唐突に抱き寄せられた僕は、嬉しさ半分、大人に成長してしまう申し訳ない気持ち半分、そして、そういう風に扱うのはもうやめてくれの気持ちがもう半分で、とても複雑でした。
小学3~4年生ぐらいの息子さんがいらっしゃるお母さま、
もし息子さんがある日、自分のことを “ 俺 ”と言い出したなら、
抱き寄せるのは、その時が一旦は最後だと 腹を括られてください。
25年も経てば、向こうから
感謝と愛とリスペクトを込めた
軽めのハグを
時々 してくるようになりますから。